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【理論編】感情的・理性的とは?

「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい、男の世界」

という昔の名セリフがあります。

義理=論理、人情=感情と置き換えると、わかりやすいですね。義理を取るのが論理的な人、人情をとるのが感情的な人です。

人の心には常に感情がうずまいているし、人の頭には絶え間なく論理的な思考が走りまわっています。どちらか一方だけという人は、社会的生物として存在できません。

だから、感情的か、論理的かというのは、要するに、どちらを優先する人かという判定になります。

プリテスでも、論理的とか、感情的とかいうのは、どちらに重きをおくか、どちらを優先するかという、バランスの問題として捉えます。
「感情的な人」は、論理よりも感情を優先する人、「論理的な人」とは、感情よりも論理を優先する人ということです。

ちなみに、「男の世界」と言いますが、男性全員が論理的なわけではありませんし、女性全員が感情的なわけでもありません。
ただ、そういう社会的圧力があるのは確かです。

そのせいで「男性は、男性らしく論理的であるべきだ」と「感情的に」考えて、何事も男らしく断定して、理屈が破綻していても自説をまげない男性もいます。

「女性は、女性らしく感情的にふるまった方が得だ」と「論理的に」判断し、感情的な行動を戦略的にとる女性もいます。

そういうバイアスもあって正確な割合はわかりませんが、論理的な女性も、感情的な男性も、大勢いることは確かです。

感情的、論理的の偏りは、どんな仕事を選ぶか、どんな伴侶を選ぶかといった、人生の大切なポイントでの選択だけに影響するわけではありません。

日々の小さなクセや、時間の使い方、お金の使い方、他人との距離のとり方や付き合い方、勉強や仕事へのモチベーション、人生の目標、幸せを感じる瞬間、不安に思うこと・・・ありとあらゆる場面で、大きな差となって現れます。

感情的な人というのは単に、怒りっぽい人とか、涙もろい人
感激しやすい人、気持ちの起伏が激しい人、あるいは同情心あふれる優しい人、ということではありません。

自分の感情を大切にする人であり、相手の感情を尊重する人でもあります。
言い換えれば、自分の感情に溺れやすい人であり、相手の感情に流されやすい人でもあります。

感情が動いた経験を中心に記憶している人であり、感情が動かない事柄には興味を示さない人でもあります。

感情的な人の中には、自分が感情的な人間だと思っている人も、そうでない人もいます。が、論理的な人の考え方には共感できず、論理的な人を、冷たい人、心ない人、という印象を持つことが多いようです。

反対に、論理的な人というのは、感情よりも論理を優先する人であり、論理を優先するのが当然だと考えている人でもあります。
悲しいとか悔しいとか、自分の感情を他人に訴えて我を通そうとするのは、子供っぽく恥ずかしいこと。怒りに我を忘れるのは、人間としてレベルが低いこと。相手の感情に流されるのは愚かなこと。
心の奥で、そう考えています。

だから自分の心に感情が沸き起こってきても、反射的にひとまずそれを押さえて込んで落ち着き、論理的に考えようとします。

論理的に正しいと考えれば、感情がどうであろうと納得し、論理に従おうとします。

記憶も、論理的に整理した情報を記憶します。
感情が動いたことも、何が自分の心を動かしたかを分析して、感情ではなくその事象を具体的に記憶します。

感情的な人に対しては批判的に見ることが多いですが、情熱が結果に結びついていたり、人の幸せの役に立っているのを見ると、急に評価したりします。

実際のところは、感情的、論理的、どちらも一長一短ではないでしょうか。

知に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
とかくこの世は住みにくい。

夏目漱石「草枕」の冒頭が、言い得て妙です。

この住みにくいこの世を、少しでも住みやすくするために、プリテスをどう活用すればいいか。
これからゆっくり解説していきたいと思います。

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